「早川 徳次」の年表を表示します。
62件のデータが見つかりました。
西暦 | 和暦 | 事項 |
1893 年 | 明治26年 | 11月3日 東京日本橋久松町に早川政吉・花子家の三男三女の末子として生まれる |
1895 年 | 明治28年 | 10月 深川東大工町で肥料屋を営む出野熊八家に養子縁組、両親と生涯の別れとなる |
1899 年 | 明治32年 | 3月 実父政吉死去 |
1900 年 | 明治33年 | 4月 東京市立筒井尋常小学校入学(翌年3月退学)、義母に命じられて夜遅くまでマッチの箱張りの内職をする |
1901 年 | 明治34年 | 9月15日 義母にいじめられる徳次を哀れんだ盲目の井上さんに連れられて本所の錺屋(坂田芳松経営)に年季奉公に出る |
1902 年 | 明治35年 | 実母花子死去 |
1909 年 | 明治42年 | 4月15日 7年7ヶ月の年季奉公を終了、以後お礼奉公1年、職人として2年半、坂田の店に勤める |
1912 年 | 大正元年 | バンドのバックル「徳尾錠」を発明 |
1912 年 | 大正元年 | 9月15日 本所区松井町に民家を借りて金属加工業者として独立 |
1913 年 | 大正2年 | 巻島喜作の依頼で考案した「5号巻島式水道自在器」で特許取得 |
1914 年 | 大正3年 | 巻島喜作の仲人で清水政吉の長女文子と結婚 |
1915 年 | 大正4年 | 早川式繰出鉛筆(のちのシャープペンシル)を発明 |
1915 年 | 大正4年 | 兄の政治とともに早川兄弟商会文具製作所を設立 |
1916 年 | 大正5年 | 「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」と命名 |
1919 年 | 大正8年 | 林町に新工場と事務所を建設、コンベアシステムを導入、従業員100名を超える。 |
1919 年 | 大正8年 | 12月 出野家より離籍し、早川姓に復帰 |
1920 年 | 大正9年 | 東京・押上に分工場を創設 |
1923 年 | 大正12年 | 9月 関東大震災によって妻子を失っただけでなく、全工場も被災 |
1923 年 | 大正12年 | 12月 従業員数名とともに大阪で再起を図る |
1924 年 | 大正13年 | 12月 大阪の西田辺に早川金属工業研究所を設立、ラジオの研究に着手 |
1925 年 | 大正14年 | 国産第1号鉱石ラジオセットの組立に成功、量産販売を開始、ラジオ部品の販売も行い、靫営業所を開設 |
1926 年 | 大正15年 | ラジオ受信機に「シャープダイン」と命名、東京出張所開設 |
1927 年 | 昭和2年 | 福岡出張所開設、上海でシャープラジオの見本市を開催 |
1929 年 | 昭和4年 | 交流式真空管ラジオを発売 |
1931 年 | 昭和6年 | 電波研究室設置、テレビ研究に着手、香港に代理店を設置 |
1933 年 | 昭和8年 | 2月 タイ、シンガポールなど東南アジア一円を2ヶ月かけて視察 |
1934 年 | 昭和9年 | 大阪・平野工場建設、ラジオ付電気蓄音機を発売、上海出張所開設 |
1935 年 | 昭和10年 | 5月 株式会社早川金属工業研究所(資本金30万円)に改組、名古屋出張所開設、シャム国に駐在員をおく |
1936 年 | 昭和11年 | 早川金属工業株式会社に社名変更 |
1936 年 | 昭和11年 | 間歇式コンベアシステム完成、台北・ソウルに出張所開設 |
1937 年 | 昭和12年 | 私立早川商工青年学校を工場内に設立 |
1938 年 | 昭和13年 | レコードプレーヤーを発売 |
1939 年 | 昭和14年 | 「満州」新京に出張所開設 |
1941 年 | 昭和16年 | 押しボタン選局式の5球スーパーラジオを発売 |
1942 年 | 昭和17年 | 早川電機工業株式会社に社名変更、短波・超短波研究のための研究所設立、航空無線機の生産開始 |
1942 年 | 昭和17年 | 岩橋武夫が創設した福祉事業「ライトハウス」のための戦傷失明者工場(のちの早川特選工場)を建設 |
1944 年 | 昭和19年 | 軍需会社の指定を受ける、和泉工場を開設 |
1945 年 | 昭和20年 | 京都工場を開設 |
1946 年 | 昭和21年 | 労働組合結成 |
1949 年 | 昭和24年 | ポータブルラジオ発売、携帯用電気アイロン発売 |
1950 年 | 昭和25年 | 身体障害者工場を法人化、合資会社早川特選金属工場とする |
1951 年 | 昭和26年 | テレビ受信機の試作に成功 |
1952 年 | 昭和27年 | 米国RCA社とテレビ技術契約を締結 |
1953 年 | 昭和28年 | わが国で初めてテレビ受信機の量産を開始、国産第1号白黒テレビを発売 |
1954 年 | 昭和29年 | テレビ工場を建設、育徳園保育所を開設 |
1958 年 | 昭和33年 | 全国地区販売会社の設立に着手 |
1959 年 | 昭和34年 | 大阪・八尾工場を建設 |
1960 年 | 昭和35年 | 大和郡山工場を建設、初のカラーテレビを発売 |
1961 年 | 昭和36年 | 中央研究所を開設、電卓・太陽電池・医療機器などの研究を開始 |
1962 年 | 昭和37年 | 国産第1号電子レンジを発売、早川福祉会館を大阪市に寄贈 |
1963 年 | 昭和38年 | わが国で初めて太陽電池の量産に成功、事業部制を敷き、無線・電化・産業機器の3事業部発足 |
1964 年 | 昭和39年 | 世界初のオールトランジスタ・ダイオードによる電子式卓上計算機を開発 |
1966 年 | 昭和41年 | 世界初のIC電卓を発売 |
1967 年 | 昭和42年 | 広島工場を建設、オールIC電卓を発売 |
1968 年 | 昭和43年 | 栃木工場を建設、初めての経営基本方針発表会を開催 |
1969 年 | 昭和44年 | 世界初のLSI電卓・新半導体GNDを開発、私財3000万円を大阪市に寄贈し、阿倍野青年センター完成 |
1970 年 | 昭和45年 | シャープ株式会社に社名変更、会長に就任、LSIの量産開始 |
1971 年 | 昭和46年 | 電卓の量産化に対して大河内生産賞受賞、大阪文化賞受賞 |
1973 年 | 昭和48年 | 世界初の液晶表示小型電卓を発売、「誠意と創意」の経営信条ならびに経営理念・経営基本方針を定める |
1976 年 | 昭和51年 | 育徳会館竣工(育徳園保育所移転)、勲二等瑞宝章授賞 |
1977 年 | 昭和52年 | わが国初のワープロを試作 |
1980 年 | 昭和55年 | 6月24日 死去 |
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