「中山 太一」の年表を表示します。 63件のデータが見つかりました。

西暦 和暦 事項
1881 年 明治14年 11月17日、山口県豊浦郡に中山小三郎・イネの長男として生まれる
1891 年 明治24年 尋常小学校卒業
1899 年 明治32年 風呂敷包み一つを背にして故郷を出る
1901 年 明治34年 志賀商店(大分)の神戸支店支配人として神戸に出る
1901 年 明治34年 12月、出資者を得て洋品・雑貨・化粧品の小売業を始める
1903 年 明治36年 4月3日、神戸花隈町に洋品雑貨・化粧品の卸商「中山太陽堂」を開業
1904 年 明治37年 6月、神戸江波戸商会の水白粉「パンゼ水白粉」の全国一手販売権を獲得
1905 年 明治38年 8月大阪市東区北久太郎町に大阪支店開設
1906 年 明治39年 大阪市西区靱上通に工場開設
1906 年 明治39年 4月、自家製品第1号「クラブ洗粉」発売、 5月に「双美人図形」を登録
1907 年 明治40年 4月、大阪支店を本店とし、神戸の店を支店とする
1908 年 明治41年 9月、工場を大阪市南区綿屋町に移転
1910 年 明治43年 1月、工場を大阪市西区江戸堀南通に移転・拡張
1910 年 明治43年 2月、東京市京橋区五郎兵衛町に東京支店開設
1910 年 明治43年 3月、クラブ歯磨、クラブ白粉発売
1910 年 明治43年 8月、英国人薬学者・化粧品技術者P・L・スミスを招聘
1910 年 明治43年 東京新橋にクラブ広告塔を設置
1911 年 明治44年 3月、英国式クラブ美身クリーム発売、4月にクラブ粉白粉、クラブ水白粉発売
1913 年 大正2年 2月、『大阪朝日新聞』に孫文歓迎広告を掲載
1913 年 大正2年 4月、ソウルで飛行機から景品券入りの宣伝チラシをまく
1915 年 大正4年 8月、本店を大阪市東区本町に移転
1915 年 大正4年 12月、大阪市南区水崎町に化学研究所を設立
1916 年 大正5年 10月、英国人C・ダウンと石鹸製造に関する契約を締結
1917 年 大正6年 10月、化学研究所の成果を工業化するために同住所に化学工業所を設立
1918 年 大正7年 2月、英国人石鹸製造技師J・ウェンライトを招聘
1918 年 大正7年 4月、大阪市南区水崎町に化粧品工場竣工
1919 年 大正8年 7月、大阪市南区水崎町に石鹸工場竣工
1920 年 大正9年 3月、工場に能率課を設置、大正11年5月に事務能率課を設置
1921 年 大正10年 3月、太一、大阪商業会議所議員に最高点で当選
1921 年 大正10年 5月、プラトン社から雑誌『女性』創刊
1921 年 大正10年 6月、上野陽一が工場の能率指導を実施
1921 年 大正10年 10月、全国卸業者の協力推進機関として「大洋会」を設置。
1922 年 大正11年 創業20周年記念第1回全国代理店連合協議大会開催。
1922 年 大正11年 六甲の「太陽閣」竣工、大正13年にインドの詩人タゴールが滞在
1924 年 大正13年 1月、堂島ビルヂングに中山文化研究所開設
1925 年 大正14年 6月、小売店の協力機関として全国各地に「共栄クラブ会」
1925 年 大正14年 7月、特定販売組織による「堂級」販売制度を実施
1926 年 大正15年 5月 乱売取締を期して、「陽級」販売系統を実施
1927 年 昭和2年 7月 販売制度の科学的運用法として「分科合成法」を創設。
1930 年 昭和5年 2月、太一、衆議院議員立候補、山口県第1区で次点となる
1931 年 昭和6年 4月、有力問屋・卸商をもって大阪クラブ特定品販売株式会社を設立
1932 年 昭和7年 3月、関東総代理店であった近藤浪保商店倒産、三井銀行からの緊急融資によって危機を乗り越える
1936 年 昭和11年 1月、太一、大阪商工会議所副会頭となる
1936 年 昭和11年 12月、台湾香料試験工場建設開始
1939 年 昭和14年 6月、奉天(瀋陽)に満陽産業株式会社設立、翌年3月奉天工場開業
1939 年 昭和14年 9月、太一、貴族院多額納税議員、大阪化粧品工業組合理事長となる
1939 年 昭和14年 11月、中山太陽堂、株式会社組織に改組(資本金500万円)
1940 年 昭和15年 4月、上海工場設置
1941 年 昭和16年 6月、釜山に朝鮮薬粧有限会社を設立、同社釜山工場開業
1942 年 昭和17年 3月、太一、日本能率協会(日本能率連合会と日本工業協会の統合によって成立)副会長に就任
1942 年 昭和17年 堂級化粧品・クラブ特定品製造中止
1943 年 昭和18年 8月、中山太陽堂に兵器部新設、航空機銃弾、信管部品などを製造
1946 年 昭和21年 5月、金属部(もと兵器部)、試作自転車第1号「中山号」完成
1947 年 昭和22年 8月、労働組合結成
1949 年 昭和24年 2月、太一の公職追放確定、全公職を退く(26年8月解除)
1952 年 昭和27年 4月、創業50周年記念第5回全国中堅代理店協議会開催、太級・堂級・陽級の3大系統による新取引制度発表
1953 年 昭和28年 7月、労働組合賃上げ要求、薬粧品部労組ストライキに入る
1954 年 昭和29年 4月、給料の遅配がはじまり、労働組合連続ストライキを組織
1954 年 昭和29年 6月、2300万円の手形が不渡りとなる
1954 年 昭和29年 10月、債権者全体会議にて会社再建案が承認される、太一相談役に就任
1956 年 昭和31年 10月18日、太一、死去
1966 年 昭和41年 12月 債務全額償還終了
1971 年 昭和46年 1月、株式会社中山太陽堂、株式会社クラブコスメチックスと改称



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